成都市内の南西部に位置する武候祠は、三国時代の蜀の王、劉備玄徳と丞相諸葛孔明を祭る廟です。三国志の英雄「諸葛亮孔明」と「劉備玄徳」を祀る祠堂で、武侯とは孔明の贈名である忠武侯にちなんでいます。中国の歴史上の人物で最も人気がある諸葛亮孔明は日本でも三国志の天才軍師として有名である。1961年に国務院により全国重要文化財に指定されました。三国時代には魏呉蜀の三国が分立し、この付近は「蜀」と呼ばれました。西晋時代末期の760年に、別の場所に建立された諸葛孔明を祭る祠堂明代に現在の場所である劉備玄徳の墓、昭烈廟の隣へ移し、君主と大臣を共に祭る「君臣合廟」としたものです。
三国時代、蜀国の都である成都市は劉備玄徳、諸葛孔明、関羽、張飛と超雲などをはじめとする蜀国の豪傑たちがかつて活躍していました重要な舞台です。成都市を中心に、成都市内及び成都郊外に沢山の三国志遺跡が残っています。徳陽市の?統墓(ほうとうぼ)、綿陽市の蒋宛墓(しょうえんぼ)、?中県(ろうちゅうけん)の張飛墓、大邑県(だいこうけん)の趙雲墓、勉県の馬超墓と武候祠などが歴代の三国ファンたちに建立されて、その時代の豪傑を記念し、英雄たちの輝かしい人生を物語っています。その中で、もっとも代表的な記念廟が成都に建立された武侯祠で、三国時代のシンボル人物?諸葛孔明を祭るところです。三国時代のことを物語る三国演義という小説では諸葛孔明が神様のような理想化知恵人物に描写されています、三国演義の中国全土での流行につれて諸葛孔明も中国人大好きな知恵のシンボルになったのです。成都市はかつて諸葛孔明が長年働いた都市で、そして5回も魏国を北伐する出発都市なので、ここにある武候祠が当然諸葛孔明ファンたちが必ずお訪ねするもっとも人気ある三国遺跡です。次は下記のように写真で武候祠をご紹介します。
関羽、張飛と三人が義兄弟を結んで、しっかり義兄弟の誓いを守り、中国人の義兄弟結びの模範だと評価されています。
関羽ー雲長
蜀の国の名将軍で、仁と義を命よりも重視していることから、中国人に崇められている男前の人です。
張飛ー翼徳
三人義兄弟の弟で、心が優しいですが、性格がとってもせっかちで、乱暴です。ノンベーなので、一旦酒を飲み始まると必ず酔っ払うまで飲み続けるそうです。
諸葛ー孔明
諸葛孔明北伐する時に、当時の王様?劉禅に書いた報告書です。忠国、忠王の儒教思想と命掛けて国に報いる気持ちを表している愛国文章として中国人に愛読されています。
墓道
劉備玄徳のお墓へ繋がる墓道で、赤色と煉瓦の神動物図案は魔除けの役目です。
劉備のお墓
劉備玄徳が三峡辺りの白帝城で病死したのですので、本当に遺体を1000キロも離れた成都に運んで埋蔵したかどうかは謎です。仮説によると、成都のこのお墓には衣装しか埋蔵されていなかったそうです。発掘していませんので、まだ分かりません。お墓の高さ12m、一周回ると180mで、結構地味なお墓です。
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