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四川省の三国遺跡
   

 
羅江県・白馬関

白馬関は四川省で最も早く、最も完全に保存されている三国蜀漢遺跡で、中には南北をつなぐ金牛古道があるが、どの石も昔の金戈鉄馬の物語を物語っているようだ。白馬関観光地は徳陽市街地から約15キロ、成都市から約88キロ離れており、成都人、綿陽人、徳陽人、周辺都市からの観光客がよく観光に訪れ、中にはポンタン祠とポンタン墓がある。白馬関にあるポン統祠は、古風で典雅で、厳粛である。ポンタンは劉備策士で、「鳳雛」さんと呼ばれている。

ホウ統(179-214)は襄陽人で、字を士元といい、号を鳳雛といい、三国時代の劉備策士を担任し、諸葛亮と同じように有名である。ホウ統の墓は、214年に、ホウ統が流れ矢に当たって死亡した後、蜀漢の劉備が建てたものである。戦争でこの墓も祠もすべて破壊されてしまいた。清の時代、康熙三十年(1691年)に、修復された。祠や墓の周りはたくさんの松の木とコノテガシワに囲まれ、青々と茂っており、景色がまるで絵のようにきれいる。ホウ統祠墓の主な構造は、門庁(入り口の広間)、二師殿、栖鳳殿、墓の四部分に分かれています。建築全体は雅やかで古風的で、荘厳である。本殿の裏にある石壁には晋代の書道家陳寿の書いた「?靖侯伝」が彫られている。二馬亭は両側に建てられ、それぞれ白馬亭、?脂亭と呼ばれ、劉備とホウ統が馬を交換することを象徴している。

二師殿はホウ統や諸葛亮を祭祀する堂なので、背景に東漢末期群雄割拠の戦乱状況を再現している。二師殿の後ろに栖鳳殿がある。そこに安置してあるホウ統の彫像は横向きに立っている姿で、ホウ統が知謀にたけていて断固としている大将の風格を表している。栖鳳殿後ろ壁の両側の扉を出ると、ホウ統の墓は目の前に現れる。しかし、この墓は後世の人がホウ統を記念するために建てられたもので、ホウ統の本当の墓はホウ統祠に近い落鳳坂のそばにあります。二師殿の前に、張飛が植えたと伝えられている「張飛柏」と呼ばれる大きいコノテガシワが二本ある。現在まで1700年余りの歴史がある。

白馬関の人日・縁日
毎年に一度のホウ統祠墓の縁日は毎年正月二十三日で、白馬関で六日間、ホウ統祠墓の縁日が行われ、地元では規模が一番大きいお祭りの一つである。現在、人々が観光し、古跡を懐古し、素晴らしい景色を眺め、ピクニックに行くようなお祭りになる。



 

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