都江堰は成都から57キロで、玉山のふもとがあります。都江堰は秦の国の蜀郡の官吏---李氷が岷江の水害を治めるため、民衆を率いてこの水利工事を建てました。これは千年の功績で、後世の子孫の福です。この雄大な工事がもう2250年の歴史をもって、このダムがいまでも役に立っていて、いわゆる、都江堰は人民に幸福をもたらしたのがもう二千年余りも達します。都江堰の建てた条件は人類文明の発達の欠けている時代にできたので、不思議なのです。
都江堰は国家重点文化財をとして山の水と平野の合流点に建てられて[土手のなくで分水嶺を建てて水を導く]という原理を利用して造ったものです。主体工事は魚嘴(分水嶺の土手)と飛沙堰(排水している道)と宝瓶口(岷江の水を分ける土手)の三部分を構成しています。この三部分は自然の地勢と水流回りの規律を巧妙に利用して潅漑と排水と砂の除きなどの問題を有効に解決しています。冬の時、岷江の水が魚嘴に回り、大部分が内江に入り、夏の時、洪水が飛沙堰に溢れ、大部分が外江に入り、ですから、都江堰はこの流域の水を保証します。この工事は成都平野の土地が肥えていて、ここは天府の国になりました。これは四川省が天府の国と称えられたゆえです。特に、近年、都江堰の用水路が改造されて増築されました。その潅漑総面積は1003万ムーもあり、これは全国で最大の潅漑区です。現在、都江堰はもう綜合的に利用されて水利施設だけでなく、観光と生態のいいところです。
都江堰は名勝旧跡をとして伏龍観、二王廟、安瀾索橋などがあります。伏龍観には李氷親子二りの塑像を陳列していて、二王廟は李氷親子の偉大な功績を記念してこの廟を建てて廟には祖先の水を治めた経験が書いております。2000年、都江堰はコネスコが[世界文化遺産]に入られます。
1、水を導入する運河と宝瓶口の開削
泯江の水を利用して成都平野の田んぼを灌漑するために、まず泯江の左側にある玉塁山に用水路を開削し、泯江の水を成都平野に導入する事が必要となります。そこで幅20m、高さ40m、長さ80mの用水路を人々の苦労の末切り開くことができました。その形状が瓶の口に似ていることから宝瓶口と呼ばれています。
2、泯江の水を振り分ける魚嘴(魚の口)
魚嘴(魚の口)は泯江の中州に当たり、泯江の水を本流と灌江(運河につながる川)の二つに分け、比率を配分する最も重要な場所となっています。春季の水が少ない時は4割の水が本流に6割の水が灌江に流れ、灌漑用水を確保する事が出来ます。雨季になると泯江の水が魚嘴の先端を乗り越え、逆に6割の水が本流に流れることにより、灌江へ流れる水を4割に減らすことができるので溢れる洪水を防ぐことができるのです。この働きを「分四六、平潦旱」と呼ばれています。
3、あまる水を排泄する飛沙堰
飛沙堰は「土砂を飛ばす」という意味で、灌江から泯江の本流に余分な水や土砂が流れるようにするための施設です。川底から高さ約2mの堤防を造り、宝瓶口に洪水が来ても成都平野の氾濫を防ぎ、宝瓶口の土砂が埋まらないように遠心力を利用し土砂が本流に流れる仕組みになっています。水が少ない時はこの飛沙堰に阻まれた水がスムーズに開削した宝瓶口に流れることもできます。
4、離堆
運河を開削するため玉塁山から切り離されたという意味で「離堆」と呼ばれています。ここには最大の功労者である李氷を祭る伏龍観が建てられています。伝説では、都江堰水利工事が行われていた当時、工事を妨害するために一匹の龍がここに潜んでいました。縁起を重んずる人々は水利工事をうまく進めるために、悪事を働いた竜を退治し削られた土砂に埋めました。それにちなみ「伏龍観」という祠が建てられました。
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