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雅安市の概況
   

 
 

四川省雅安市 〜 人口 154万人、 一人当たり GDP 19,000 元

雅安市の歴史
古代において、少数民族の青衣羌国が建国されていた。秦により蜀、巴国が滅ぼされ、新たに蜀郡、巴郡が新設された際、この地方は厳道県として蜀郡西部都尉の管轄下とされる。前漢時代において、徒県(現在の天全)、旄牛県(今の漢源)、青衣県(今の名山、芦山)がさらに新設される。これらは、一時期、沈黎郡に帰属するも、すぐに廃止され、蜀郡属国として一括統治されることとされた。後漢時代の122年、蜀属国都尉により、漢嘉県、厳道県、徙県、旄牛県が統治されることになる。後漢末期の184年、蜀郡属国が改名されて、漢嘉郡が新設された。しかし、4年後の188年、漢嘉郡は廃止され、再び、蜀郡属国が復活する。そして、三国時代。劉備により蜀漢が建国された221年、蜀郡属国は再度、廃止され、再び漢嘉郡が設置された。その役所は漢嘉県城(今の芦山県)に開設された。蜀が滅亡し、晋の時代に漢嘉郡は廃止される。ちなみに、220年に許靖、諸葛亮らと共に、劉備に蜀漢皇帝に即位するよう進言する上奏文を奉呈した人物の一人であり、当時、蜀の重要文官であった王謀は、この地の出身者である(劉璋時代、巴郡太守であったが、劉備軍に降伏している)。

時代は下って、南北朝時代、西魏により蒙山郡が置かれ、隋代以降は雅州と改名される。 このころに、この地の行政の中心地が、現在の雅安市に移っている。中華人民共和国成立の際は、西康省という省に帰属していたが、1955年に西康省が廃止され、四川省所属となり、2000年に地方級都市へと独立している。現在、南北朝時代から続く古城跡はすべて撤去されていしまっている。街の路地に少しばかりの名残が残る程度である。大北街、大南街、西大街、東大街、県前街、南正街、西門南路、順河街、城后路、新民街(新しく城外に拡大してきた居住区)。

雅安市の周り、主な観光地は、雅安碧峰峡パンダ基地、上里古鎮、蒙頂山、挟金山、牛背山など。

 

 

 

 

 

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