セラ寺色拉寺(セラスー)
ラサ中心部の北6kmの山麓にある寺です。1419年にチベット仏教ゲルク派の創始者ツォンカパと弟子により創建されました。本堂の他、いくつもの建物があり、僧房もあります。仏教の大学でもあり、多くの高僧を輩出しており、明治から大正時代に河口慧海と多田等観の2人が日本人であることを隠してここで修行しています。ゲルク派三大寺院のひとつです。
セラ寺の全称は「セラ大乗洲」です。セラ寺という名の由来については、2つの伝説があります。ひとつは、セラ寺の基礎を造った際に、激しい雹が降り、チベット語で雹の発音は「セラ」だったので、このことから「セラ寺」と付けたという説、そして、もうひとつの伝説は、同じく「セラ」と発音する、バラが咲き乱れていたところにこの寺が建てられたとする説です。
セラ寺には1万個以上の金剛仏像が保存されていて、多くはチベットの地域で造られたものです。内陸またはインドで作られた銅仏像も数多くあります。一番有名な塑像は、「吉札倉」の護法神殿にある「馬頭明王金剛像」です。正殿に入り、まっすぐ進み、1列小さい殿を通って、一番奥にあります。
セラ寺には貴重な文物と工芸品がたくさんあり、たとえば、経典、仏像、法器、金銀器などです。なかでもツォチェンチュジェの彩色像は、縦は109cm、幅は64cmあり、500年ぐらいを経ているものの、色彩は今なお艶やかで美しいです。「措欽正殿」には200帙余りの『甘珠?』と『丹珠?』があり、経書は全て金を含んだ塗料で写されており、とても貴重です。
セラ寺には極めて貴重な文物があります。その中に、永楽皇帝からツォチェン・チュジェに贈られた、1410年に辰砂を用いて印刷された108帙の北京版チベット語の『甘珠?』(現存105帙)は一番貴重です。それは製作が精美であっただけではなく、それに木版印刷術で印刷されていた第一部のチベット語大経典です。
セラ寺では、「セラ崩欽」と呼ばれる盛大な節があり、これはセラ寺特有の「金剛杵加持節」という意味です。紀元15世紀末に、インドから一つ金剛杵が伝わって来て、「飛んできた杵」と呼ばれていたそうです。その後、「結巴札倉」の住持は、チベットの暦12月27日に金剛杵を「丹増保護神殿」に迎え供えていました。毎年12月27日になると、セラ寺に来る信徒は数万に達します。
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