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宜賓市の概況
   

 
 

四川省宜賓市 〜 人口 504万人、 一人当たり GDP 20,000 元

宜賓市の歴史
40000前の古代より人類の定住が確定されている土地であり、 5000〜6000年前には農耕集落社会が形成されていたとされる。
中原地帯が戦乱に明け暮れる春秋戦国時代、?人と呼ばれる民族がこの地に割拠し、農耕や狩猟採集を併用した生活を営んでいたようである。 前漢時代の紀元前182年、宜賓市の前身となる?道城が築城される。このとき、中原地帯より、多くの漢民族らが移住させられたという。さらに、前漢時代の紀元前86年、?為郡の郡役所として、?道城が選定され、この一帯12県を管轄する行政、経済、文化、軍事の中心地とされた。三国時代も含め、郡役所は現在の宜賓市街区(?道城)に開設されていたが、一時期、宜賓市街区によりさらに南西へ 40 kmにある安辺鎮へ移転されている。そして、唐代になって、再び宜賓市街区へ戻る。
北周朝の統治下にあった560年代、外江へと改名されるも、隋代になり、再びもとの?道へと改称されている。

その後、南北朝時代に、この地を支配した梁王朝により、戎州へと改名され、この州都として機能する。そして、宋時代の1114年、戎州から叙州へ改名され、その州役所は宜賓市街区に設置された(このときに、「宜賓」という地名になった)。その後、モンゴル軍の四川省侵入の折は、早々に占領され、破壊、略奪の対象となった。元の中国統一後、叙路へと改名され、また明、清の時代には、叙府と呼ばれた。この地も、現在はかつての?道城時代から続く古城壁はほぼすべて撤去されてしまっている。しかし、戎州大橋脇にある公園に、少しばかり城壁が保存されている。また、街の路地にもかつての名残を残す名称が見受けられる。北正街、南街、西街、東街、東楼街、合江門広場、鼓楼街、県府街、専署街、走馬街、打金街、忠孝街など。 城外西側にある人民公園内の翠湖は、かつての堀川跡。

宜賓の周りは、蜀南竹海、李荘古鎮など、有名だ。

 

 

 

 

 

 

 

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