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青海西北観光地 玉門関

 

--敦煌でゴビ砂漠をすぎて北西で82kmぐらいには漢代の陽関と一緒にシルクロードの重要な関門役割をした玉門関がある。敦煌はインド、イランと通じる中国古代通路として玉門関と洋館はその通路の重要な鍵であった。昔には玉門関を越えるのを出塞すると言って万里の長城の外を塞外といった。玉門関は高さ10mの四方形で633平方メートルにまたがって玉門関に上がって遠く眺めれば漢代の古長城を見られる。

--伝説によれば昔、和氏という人が天下にない宝玉と言って王様に捧げたが石だと判明して右足を切られた。その後次の王様にも捧げたがまた石だと判明して右の足まで切られてしまう。次の王様の時は両脚失って山の麓で三日昼夜を泣いたがその誠意が王様の注意を引いて彼が持ってる石が天下にない宝玉であることが分かった。その石を磨いて彼の名前で命名したがこれが中国一有名の華氏壁である。この華氏壁は秦始皇が趙国に15城と交換しようとも提案した程に大事な宝物で見なされた。歴代の中国歴史小説に欠かせない中国一の宝物とされたが民国時代その姿を消し今でも行方不明になっている。

 玉門関は、陽関と並び西域天山南路へ通ずる重要な関門でした。古来より異民族との攻防の地として、漢詩にもよく詠まれています。唐代の詩人?李白の、「漢は下る白登の道。胡は伺う青海の海。由来征戦の地。見ず人の還る」という詩が有名です。玉門関はシルクと玉石の交易の場としても栄えましたが、今は城壁だけが残っています。玉門関を守る屯田兵たちの食物倉庫、河倉故城や漢代長城遺跡と共に、古代シルクロードの盛衰が偲ばれます。

 漢代の敦煌からカシュガル方面へ向かう「西域南道」への関所跡で、 ここから先に行くことが、本当に西域に足を踏み入れるということでした。 この重要な関所であった玉門関は、同時に軍事拠点として2万人もの兵が駐屯していたこともあるそうです。 今は朽ち果てていますが、それがかえってシルクロードのロマンを感じさせてくれます。

--河倉城は、玉門関から西へ20Kmほど。かつては西域との最前線で戦う兵士の食糧庫として使用されていました。

--漢代長城は、漢代に造られた長城跡です。現在その大部分は風化してしまっていますが、玉門関付近では 比較的状態の良いものを見学することが出来ます。

 

 

 

 

 

 

 


 

   
   
   
 
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